ゲーム研究と「ナラティブ」

Aug 27, 2013|ゲーム研究

「ナラティブ」(narrative)という用語がゲーム研究や周辺領域において使われる場合の留意事項いろいろ。たぶん偏っています。

以下、カタカナにする意味もあんまりないので「物語」で通します。

「物語」のいろいろな意味

イェスパー・ユールは、著書 Half-Real のなかで、「物語」という用語が「かなり細かく特定しないかぎりは実践的に無意味」になるくらい多様な用法を持っていることを指摘したうえで、そのうちの主要な用法を6つ挙げている(Juul 2005: 156-157)。

  1. 複数の出来事の提示(presentation)としての物語。これは、この言葉の原義かつ文字通りの意味、つまりストーリーを語ること(storytelling)である(Bordwell 1985; Chatman 1978)。
  2. 固定され(fixed)あらかじめ定められた(pre-determined)出来事連鎖としての物語(Brook [1984] 1992)。
  3. 特殊なタイプの出来事連鎖としての物語(Prince 1983)。
  4. 特殊なタイプのテーマ人間ないし擬人的実体〔についてのテーマ〕としての物語(Grodal 1997)。
  5. あらゆる種類の舞台設定ないし虚構世界としての物語(Jenkins 2003)。
  6. 世界を理解する(make sense of)しかたとしての物語(Schank and Abelson 1977)。

ゲーム研究の文脈ではないものの、美学の教科書(The Routledge Companion to Aesthetics)のなかでも、これと部分的に重なるかたちで「物語」という語の意味のバリエーションが細かく分類されている(Livingston 2013)。

当然ながら、ゲーム研究やゲーム批評やゲームデザインにおいて「物語」という用語が持ち出される場合、このうちのどの意味を採用するかによって、ゲームと物語の関係の捉えかたが変わってくる。それゆえ、ユールによれば、

物語理論をゲームに適用することに批判的な論者のほとんどは、物語の第一、第二および第三の定義に焦点をあわせてきた。一方で、ゲームと物語の類似性を強調する論者たちは、第五と第六の定義に焦点をあわせてきた。ゲームは物語か? その答えは、われわれが使っているのがどの意味での「物語」なのか、そしてわれわれが焦点をあわせているのがゲームのどの側面なのかにもっぱら依存する。[Juul 2005: 157]

また、一般的に「物語」と同じような使われかたをする他の言葉(たとえば、「ストーリー」「プロット」「シナリオ」「ドラマ」「フィクション」など)と「物語」の関係も、それぞれどういった用語法を採用するかで変わってくる。

歴史的にも内在的にもゲーム研究と関係が深い物語論(Genette; Chatman; Balなどの系統)の文脈では、「物語」(narrative)という語は総体としての構造ないし現象を指すことが多く、個別の側面を指すテクニカルタームとしてはあまり使われない印象がある。かわりに「物語内容」(story / histoire)、「物語言説」(discourse / récit)、「語り/物語行為」(narration)などが記述用語として使われる。上記の第一の用法における「narrative」は「narration」とおおむね同義かもしれない。

ついでにいうと「物語性」(narrativity / narrativeness)という言葉をつかう場合、「物語」の定義の問題とはまた別の問題がある。ポーター・アボット(Abbott 2013)が指摘しているように、「物語」をどのように定義するにせよ、「物語性」という言葉にはふたつの用法が区別されなければならない。

〔…〕つまり、物語〔一般〕の「物語性」としての固定的(fixed)な意味における物語性と、あるひとつの物語の「物語性」としてのスカラーな意味における物語性である。前者は、物語という概念に対して一般的に適用されるものであり、後者は、個々の物語に対して相互比較的に適用されるものである。[Abbott 2013: 1]

たとえば、「物語とは一般に云々の性質を持つもののことであり、それらの性質が物語性である」とかいう場合は前者の固定的な意味で、「物語性を多く持つビデオゲーム作品は良い」とかいう場合は後者のスカラーな意味で「物語性」という語を使っているということになる。

「物語性」がある種の評価的意味合いを含んで使われる場合、ほぼスカラーな意味で使われているはずである。このことは「ゲーム性」や「芸術性」という言葉にもまったく同じくあてはまる。

ゲーム研究における「創発的物語」について

ユールもこの概念に言及している。

創発的物語あるいはプレイヤーストーリー(player story)という用語については、特別な議論を必要とする。創発的物語は、〈ゲームについてのプレイヤーの経験〉(Pearce 2004)か、〈ゲームについてプレイヤーが語りうるストーリー〉か、場合によっては〈ゲームを使ってプレイヤーが作り出すことができるストーリー〉として非常にゆるく説明される傾向にある。ジェンキンスの説明によれば、「創発的物語は、事前に構造化ないしプログラムされておらず、ゲームプレイを通じて形を持つことになるものだが、とはいえ、それは人生がそうであるように非構造的で無秩序でフラストレーションを引き起こすものというわけでもない〔…〕」(Jenkins 2004: 128)。先行の章で定義された創発的ゲーム(emergent game)はすべて、事前に構造化されてもいないし人生のように無秩序でもないわけだから、これ〔ジェンキンスが挙げる事柄〕は、とくに〔創発的物語の〕規準にはならない。[Juul 2005: 157-159]

ユールが言いたいのは、ようするに、ゲームを特徴づけるのに「創発的物語」とか言う必要ないよね、「創発的ゲーム」でいいよね、ということである。

ルドロジストを自認するユールが「物語」という語の使用にかんして非常に慎重になっているのは、その用語が人文諸学において90年代にバズり、それがちょうど当時生まれつつあったゲーム研究に流れ込んだあげく、「ルドロジスト対ナラトロジスト論争」におけるような無用の概念的混乱を生じさせたという認識があるせいだろう*

ルドロジストに総スカンを食った「ナラトロジスト」であるジャネット・マレーの主張とかを見てるとユールの懸念もさもありなんなのだが、一方で、創発的物語というアイデアにはそれなりに拾うべきところがあるし、それを「創発的物語」と呼ぶことにも一定の合理性があるとは思う。

たとえば、以下のようなピアースの議論は、ゲームプレイにおける特定の現象を「物語」と呼ぶことの正当性を十分に示しているように思われる。

〔…〕ゲームにおいては、他の媒体におけるのとは根本的に異なるレベルで物語が作動(operate)する。ゲームは、もっとも単純に記述すれば、構造化されたプレイのための枠組みである。ほとんどの場合、この構造には、なんらかのタイプの目標、その目標に対する障害、その目標に到達するために役立つリソース、罰と褒賞のかたちをとった帰結が含まれている〔…〕。そのもっとも単純なレベルにおいて、これらの要素は〔…〕ある種の物語構造を作り出す。[Pearce 2004: 144-145]

ようするに、ゲームプレイの過程は、目的や手段や障害や有意味な帰結を持つという点において、それ自体として本来的に物語構造(に似たもの)を持っているということである。

ピアースは、ゲームプレイにおいて働きうる「物語作動主」(narrative operator)を6つ挙げている。ここで面白いのは、プレイヤー自身のゲームプレイ経験("experiential")だけが物語を構成する物語作動主というわけではなく、ゲームプレイを見る人の経験("performative")、ゲームプレイを取り巻く背景的情報や補完的情報("augmentary")、ゲームプレイの事後的レポート("descriptive")等々も物語を構成するものとして挙げられている点である。もちろんこれら個々の要素についてはさらなる吟味が必要だろうが、ゲームプレイの特定の側面を文字通りの物語として捉えることの有用性は十分に示されているように思われる*

ピアースが言う(創発的)物語は、基本的にはプレイヤーや傍観者がゲームプレイをひとつの意味ある全体に構成するということである。なので、これは上記のユールの分類のうちの第六の用法の一種だと言える。そのような意味での「物語」がゲームプレイに適用されるのは、歴史や人生の意味を説明しようとする理論において「物語」がしばしば持ち出されてくるのと同じ事情だろう。

ただ、歴史や人生の意味にかんして「物語」が適用される場合は用語上の混乱は起きにくいだろうが、ビデオゲームのようにしばしば虚構世界上のストーリーを描くものにかんしては、第六の用法と第一~第三の用法の双方が混在する可能性が出てくる。その点で、ゲームプレイ経験の特定の側面に対して第六の用法での「物語」を適用することには、用語法上の問題がそれなりにあるとは思う。もちろん、使うほうも読むほうもその都度気をつけてれば問題ないけど。

おわり。

追記(2013.08.31)

サレン&ジマーマン(Salen & Zimmerman 2003: 383)によれば、「創発的物語」という用語自体は、2000年(サレン&ジマーマンによる参照指示は1999年になっているが、正しくはたぶん2000年のほう)のGDCでマーク・ルブランがすでに提示していたらしい(Marc LeBlanc, "Formal Design Tools: Emergent Complexity, Emergent Narrative." LeBlancのサイトからプレゼン資料が落とせる)。

ルブランは「創発的物語」を「埋め込まれた物語」(embedded narrative)と対比させている。いずれも明確かつ洗練された定義が与えられているとは言い難いが、おおむね、「埋め込まれた物語」はインタラクション以前にすでに作られていて「authored」なものであり、「主要なストーリー曲線」(major story arcs)を形づくり、ゲームプレイのインタラクションを「枠づける」ものであるのに対し、「創発的物語」は「複雑なシステム」のおかげで個別のゲームプレイにおいて都度生じる物語である、ということを言いたいようだ*。サレン&ジマーマン自身も、この二つの物語のありかたについて独自の議論を展開している。

ジェンキンスによる物語の四つの類型の中にも「創発的物語」に加えて「埋め込まれた物語」が入っているので、明らかにこのあたりの議論が参照されているのだろうが、内包的に同じ概念かどうかはけっこう微妙なところではある。当時の議論状況が具体的にどういうものであったのかは文献掘るだけではよくわからないけど。

このルブランやサレン&ジマーマンによる「創発的物語/埋め込まれた物語」という区分は、昨今ゲームデザイン界隈でにぎわっている「ナラティブ/ストーリー」の区分に概念的に非常に近いものだと思われるので、直接的あるいは間接的な元ネタなのかもしれない。

追記(2015.11.08)

「ゲームのナラティブ」についての私見は以下にまとめた:

Footnotes

  • 実際のところは、この二つの用法の区別が難しいケースは往々にしてあるように思う。というのも、両者ともある意味で〈ゲームプレイを通じてその都度成立する物語〉だからである。とはいえ、両者は概念的に区別できるし、細かい議論をするためにはきちんと区別すべきだろう。「創発的物語」は明らかにインタラクティブ性と物語の関係に焦点をあわせるための用語だが、このインタラクティブ性のレベルが二つの用法のあいだで異なっている。つまり、テキストの読解ないし解釈のレベルのインタラクティブ性なのか、テキスト自体に対する操作のレベルのインタラクティブ性なのかのちがいである。「インタラクティブ性」が複数の意味合いを持つことについては、Lopes(2009)で多少細かく論じられているので参考になる。

  • このへんの事情はユールのブログに愚痴っぽく書いてある。以下を参照:
    The definitive history of games and stories, ludology and narratology | The Ludologist

  • 井上明人さんがRGN-u#01RGN-u#02で使っていた「物語」概念も、これにけっこう近かった記憶がある。そこでもやはり「物語」という用語を使うことの正当性や議論の説得力はあった。

  • 「embedded narrative」は文脈次第では物語世界内物語(いわゆる劇中劇のたぐいの入れ子構造)を指すことがあるが、ここでは明らかにその意味ではない。ジェンキンスの「embedded narrative」も同様。

    ※追記(2013.09.02)山根信二さんにご指摘いただいたが、ルブランの「embedded narrative」は「embedded system(組み込みシステム)」に着想を得ている可能性があるとのこと。仮にそうだとして、このアナロジーが「embedded narrative」の概念規定にかんして実質的にどれだけ効いているかはルブランの議論自体がはっきりしないせいでよくわからない。

References

  • Abbott, H. P. (2013). "Narrativity." In P. Hühn et al. (eds.), The Living Handbook of Narratology. Hamburg University. http://www.lhn.uni-hamburg.de/article/narrativity
  • Jenkins, H. (2004). "Game Design as Narrative Architecture." In N. Wardrip-Fruin & P. Harrigan (eds.), First Person: New Media as Story, Performance, and Game. MIT Press. Online: http://web.mit.edu/cms/People/henry3/games&narrative.html
  • Juul, J. (2005). Half-Real: Video Games between Real Rules and Fictional Worlds. MIT Press.
  • Livingston, P. (2013). "Narrative." In B. Gaut & D. M. Lopes (eds.), The Routledge Companion to Aesthetics (3rd Edition). Routledge.
  • Lopes, D. M. (2009). A Philosophy of Computer Art. Routledge.
  • Pearce, C. (2004). "Towards a Game Theory of Game." In N. Wardrip-Fruin & P. Harrigan (eds.), First Person: New Media as Story, Performance, and Game. MIT Press.
  • Salen, K. & E. Zimmerman (2003). Rules of Play: Game Design Fundamentals. MIT Press.