デジタル画像についてのいくつかの整理

Nov 29, 2014|美学・芸術の哲学

12月20日にこういうイベントがあるみたい。

参加予定なので、gnckさんの当の論文を読んだ。内容は面白かったが、読みながら概念的に整理しといたほうがいいところがいくつかあるなあと思ったので書いておきます。gnckさんはおそらくそのあたりも承知のうえで書いてると思うので、自分のなかでの整理というかんじです。

「デジタル画像」のふたつの意味

一般に「デジタル画像」というときには、少なくともふたつの意味でとれる。

  • 当の画像のデータのフォーマットがデジタルである(その画像がデジタルデータとしてストアされている)
  • 当の画像が記号としてデジタルである

前者の意味でのデジタル画像は、ビットマップやベクターといった下位クラスを持つもの。gnckさんは明らかにこっちの意味でつかっている。この意味でのデジタル画像は、おおむね「コンピュータで保存・表示できる画像」くらいに言い換えられると思う(細かいことをいえば、gnckさんも言及しているジャカード織機による画像なども含まれるが)。

後者は、当の画像が分節化された記号であるという意味*。これはデータレベルで分節化されているかどうかではなくて、あらわれているしるしがデジタルな記号タイプに属するかどうかという話である。Goodman(1976: ch.4-5)が記号について「analog / digital」と言ってるのはこっちの意味。同じくKulvicki(2006: 40-41, 63-78)が「digital picture」という用語で論じているのもこっち。Goodmanによれば画像(絵や写真)はすべてアナログ(統語論的かつ意味論的に稠密)なものとして特徴づけされるが、それに対してKulvickiはデジタルな画像もあるという主張をしている。

厳密にいえば、モニタディスプレイに表示される記号はすべて、ドットの集合から構成される以上、後者の意味でデジタルである。ようするに、データがビットマップ形式だろうがベクター形式だろうが、あるいはさらに映像信号自体がアナログだろうがデジタルだろうが、最終的にラスタライズされて表示されるという点ではすべて後者の意味でデジタルである。とはいえ、よりアナログに近いかどうかという程度(解像度)のちがいはいえる。たとえば、ベクター画像は、一般に、後者の意味で相対的にデジタルではないかたちで表示されるだろう(フォントやDTP用の画像とかを考えるとよい)。前者の意味ではこの相対性が言えない。

ビットマップ画像は両方の意味でデジタルなので、ビットマップを例にするときにはごっちゃになりやすいかもしれない。ビットマップについてこの区別を説明するには、「ドット/ピクセル」というよくある区別を持ち出すとわかりやすいかもしれない。

ドット絵とビットマップ

gnckさんはドット絵をビットマップのミニマムとして挙げている。ある点ではそういう見かたも可能だとは思うが、個人的には、ドット絵は、そのデータのフォーマットがどうというよりも、技法や様式の点で特徴づけるべきものだと思っている。

技法の点からいえば、たとえばディザリングやアンチエイリアシングの表現をするにしても、自動的にそれらのエフェクトをかけるツールを使うのではなくて、手打ちでぽちぽちするのがドット絵の本質のひとつだろう。これはビットマップ一般の特徴ではない。

様式の点からいえば、ポリゴン登場以前のビデオゲームのグラフィック表現に特徴的なものが「ドット絵」と呼ばれることが多い。この場合のドット絵は、いわゆる「8bit風」や「16bit風」の絵柄のことである。

もちろん歴史的には、ドット絵の技法や様式はCG技術上の制約のなかで発展したものであり、そこではドット絵という表現スタイルとビットマップというデータ形式は密接なつながりを持っていただろう。しかし、いったん技法や様式として確立してしまえば、両者は切り離して考えられるし、またドット絵がアイロンビーズとかクロスステッチでもふつうに表現されていることを考えれば切り離すべきである。

ドット絵はつねに(上記の後者の意味で)デジタルな記号タイプではあるだろうが、それがデータとしてビットマップ形式でストアされる必然性はない。技法・様式とその記録形式はそれぞれ別の論点である。

「ドット絵」や「pixel art」という概念がそもそもリジッドなものではないので、それを理論的に有用なかたちで定義する仕事がまず必要かもしれない。その点、gnckさんが参照しているscrama_saxさんのドット絵の定義はかなり優れていると思う。Kulvickiが言うところの画像の「統語論的繊細さ」に近い直観を拾っている。

「画像」について

「デジタル画像」の略称として「画像」をつかうことはそれなりにミスリーディングだろうと思う(gnckさんはちゃんと最初に断っているが)。たんに言葉づかいの問題だが、厳密な議論をするのであればちゃんと限定したほうがいい。ビデオゲームを「ゲーム」と呼ぶことの難点に近い。

個人的には、「picture」の訳語として「画像」を確保しておきたいというのもある。ちなみに今回の話とは関係ないが、「図像」はもともとの仏教用語としても「icon」の訳語としても相当由緒ある言葉なので、「picture」の訳語としては単純に採用しづらい。

おわり。

Footnotes

  • 追記(2014.12.03)。正確には、記号がデジタルというよりも書記素や音素のレベルがデジタルということかもしれない。ようするに第二次分節があるということ。Kulvickiの用語でいうと、統語論的タイプがデジタルというよりも統語論的に関与的な諸性質(SRPs)が(空間的に)デジタルに分節化されているということ。

References

  • gnck. 2014. 「画像の問題系 演算性の美学」『美術手帖』66(1012): 165-174.
  • Goodman, N. 1976. Languages of Art. 2nd ed. Indianapolis: Hackett.
  • Kulvicki, J. 2006. On Images: Their Structure and Content. Oxford: Oxford UP.