ARとマジックサークル

Jul 26, 2016|ゲーム研究

時事ネタついでに「マジックサークル」概念についてまえから思っていることを書く。

サレンとジマーマンの『ルールズ・オブ・プレイ』に「マジックサークル」(邦訳では「魔法円」)という有名な概念がある(Salen & Zimmerman 2004: ch.9)。簡単に言えば、ゲームの内外を境界づけているなにかのことであり、この概念によって「ゲームに参加する/ゲームをやめる」という事態が説明される。

ホイジンガ由来の概念と言われる場合もあるが(そして実際サレンとジマーマンはホイジンガから借りたと書いているが)、ホイジンガはなんらかの理論的概念として持ち出しているわけではない。そういうわけで、実質的にはサレンとジマーマンのオリジナル概念だ。

「マジックサークル」の2つの意味

しかし、サレンとジマーマンの記述にしたがうかぎりは、この概念はかなり曖昧だ。少なくとも、明確に区別できる(そしてすべき)2つの意味成分がごっちゃにされている(同じような指摘をすでにCalleja(2012)がしている。この論点についてのサーベイはStenros(2014)を参照)。

①ゲーム内でのみ働く意味の境界
たとえば、サッカーボールがゴールラインを割ることや、将棋の駒とその盤上の配置や、そうした結果をもたらす行動は、当のゲームのルールを知らない人にとってはとくに重要な意味を持たない。

②ゲームがおこなわれる時空間とその外部の境界
たとえば、サッカーのプレイは、90分のあいだサッカーのフィールドの内部でのみおこなわれる。

サレンとジマーマンが引用する論者の「枠」(frame)は明らかに①を指している。これは文字通りの時空間的な境界のことではない。むしろ、当の実践にかかわる人にとってだけ存在するような意味の層を作り出すなにかのことだ。これはサールが言う「構成的規則」(当の文脈において、なにかを別のなにかとして見なす規則)とその集まりである「制度」にほとんどそのまま対応する(Searle 1969: sec.2.5, 2.7; 実際サールは構成的規則の典型例としてゲームを持ち出している)。

一方で、サレンとジマーマンは、マジックサークルがゲームの時空間的な境界(②)であることを繰り返し強調する。もちろん、①を指すのに、「円」や「枠」といった空間的な含みを持つ言葉を比喩的に利用するぶんには問題ない。しかし、サレンとジマーマンは明らかに比喩を超えた文字通りの意味で「時空間」と言っている。にもかかわらず、サレンとジマーマンは「意味の空間」のような比喩的な用法も放棄しない(この点で、より明確に②の用法に限定して使っているJuul(2005)とはだいぶちがう)。

たしかに、ホイジンガやカイヨワがゲームの特徴づけのひとつとして「日常生活からの時空間的な分離」を挙げているように、多くの伝統的な(とりわけ制度化された)ゲームについては、①と②のちがいはそれほど問題にならないのかもしれない。伝統的なゲームでは、遊び場や遊び時間はしばしば明確に線引きされる。あるいはふつうのビデオゲームの場合も、画面内でのみ完結しているという意味で、①と②のちがいは問題にならないかもしれない(Juul 2005: 164–165; 個人的にはこの考えには同意しない。Liebe(2008)も参照)。

しかし、たとえばARを使ったゲームのようなケースでは、①と②は決定的にちがうものになる。

ARゲームのマジックサークル?

(以下の議論は、正確に言えばARゲームというよりは位置情報ゲーム一般の話だが、ARゲームはふつう位置ゲームでもある。さらに、LARPなどに対しても同じ話ができるだろう。以下めんどくさいので「ARゲーム」で話を進める。)

ARを使ったゲームでは、現実空間におけるプレイヤーの位置が当のゲームにとって意味あるものになる。そして、たいていの場合、その意味ある場所は、われわれがふだん生活している空間のなかにある。つまり、そのゲームに専用の場所がなにかしら用意されているわけではない。これはARゲームのひとつの特徴だ。

②の意味でのマジックサークルをARゲームに適用すると、ARゲームはマジックサークルを持たない(少なくともそれを曖昧にする)ものだと言える。それは、なにか定まった時空間的なゲームの境界を持たないからだ。

一方、①の意味でのマジックサークルをARゲームに適用すると、ARゲームにも確固としたマジックサークルがあることになる。当のゲームに参加していない人にとって、その場所が持つゲーム内の意味はない。その場所やプレイヤーの位置や行動に特定の意味を見いだすのは、そのゲームのマジックサークルの「なか」(比喩)にいる人だけだ。

そういうわけで、「マジックサークル」概念を使ってARゲームの特殊性を記述する場合、2通りの特徴づけがありえる。

①ARゲームはマジックサークルが効力を持つ範囲が曖昧という点で特殊だ。
②ARゲームはマジックサークルがない(または曖昧)という点で特殊だ。

ついでに

観測範囲のかぎりで、ARゲームにおける現実とゲーム(あるいは「リアル」と「フィクション」)の境界がどうのとか関係がどうのとかレイヤーがどうのみたいな話を見かける。しかし、現実の事態に対してゲーム内の意味の層がのっかるというのは、ほとんどすべてのゲーム(少なくとも、構成的規則を持つゲーム)に言えることだ。サッカーであれ将棋であれ同じだ。この点でARゲームの特殊性があるわけではない。

ARゲームの特殊性があるとすれば、その意味の層が効力を持つ範囲が相対的にはっきりしておらず、相対的に大きく、かつ日常生活の空間に相対的に近しいというくらいだろう。そして、これは別にゲームが現実を「侵食」するといったような大げさな話ではない。たんに家のなかや遊び場ではなく、そのへんで遊んでいる人がいるというだけの話だ(これは電車でスマホゲームをやっている人がいるというのとあまり変わらないかもしれない)。

『Pokémon Go』がなにかしらそういう「侵食」に見えるのだとしたら、それは参加している人が相対的に多いという程度の問題だろう。たしかに参加していない人にとっては迷惑な話だが、事柄の本性としては、ワールドカップ時にサッカーファンが通りで騒ぐのとたいしてちがわない。

追記(2016.07.28)

井上さんからコメントをもらったのでお返事。
http://hiyokoya.hatenadiary.jp/entry/2016/07/27/113620

中段ABの話は考えてなかったので、なるほどでした。言い換えると、伝統的なゲームでは、ゲームに参加していない人にとっても、ゲームに参加している人がどの人であり、そしてその人がどの対象に意味を見いだしているのかがある程度想定できるのに対して(意味の中身はわからないにせよ)、ABをともに満たすゲームではそれがわからないということかもしれません。これは大きいちがいだろうと思います。

下段『Pokémon Go』うんぬんの話についてはそのとおりというかんじで、とくに異論はないです。上の記事の動機が整理できていなかったところがあるので、それだけ書いておきます(これは井上さんとか高田さんのコメントを見て気づいたことです)。

影響の大きさみたいなのは問題にしていなくて、『Pokémon Go』/位置情報ゲーム/ARゲームが引き起こしている事柄を説明するのに既存の概念的な枠組みを変える必要はとくにないというのがポイントです。手持ちの道具で十分に説明できるのだから、(フィクションがどうの仮想がどうのみたいな)へんなこと言わなくていいだろうということです。

(「拡張現実」みたいな言い方がそもそも気に入らないのかもしれません。その意味での「拡張」自体は(程度や手法や技術的基盤はともかく)むかしからいくらでもあるだろうと。言葉の問題ですが、言葉に引きずられた議論は多いので。)

そのことを主張するのに、逆方向に雑なこと(程度以外は変わらないという)を言ってしまったというところだと思います。あとalternate realityとaugmented realityを混同するという初歩的な罠にはまってたかも。

References

  • Calleja, G. 2012. "Erasing the Magic Circle." In The Philosophy of Computer Games, eds. J. R. Sageng, H. Fossheim, & T. M. Larsen, 77–91. Dordrecht: Springer.
  • Juul, J. 2005. Half-Real: Video Games between Real Rules and Fictional Worlds. Cambridge, MA: MIT Press.
  • Liebe, M. 2008. "There Is No Magic Circle: On the Difference between Computer Games and Traditional Games." In Proceedings of Philosophy of Computer Games Conference 2008, eds. S. Günzel, M. Liebe, & D. Mersch, 324–340. Potsdam.
  • Salen, K., & E. Zimmerman. 2004. Rules of Play: Game Design Fundamentals. Cambridge, MA: MIT Press. (『ルールズ・オブ・プレイ 上・下』山本貴光訳、ソフトバンククリエイティブ、2011/2013.)
  • Searle, J. 1969. Speech Acts: An Essay in the Philosophy of Language. Cambridge: Cambridge University Press. (『言語行為』坂本百大・土屋俊訳、勁草書房、1986.)
  • Stenros, J. 2014. "In Defence of a Magic Circle: The Social, Mental and Cultural Boundaries of Play." Transactions of the Digital Games Research Association 1(2): 147–185.