ダントーの「アートワールド」は後半が面白い

昨日の勉強会で話題にのぼったのでまとめておきます。

ダントーの有名なアートワールド論文は、前半部分、つまり、芸術の定義にかかわる「アートワールド」概念や、芸術作品の同一性や解釈にかかわる不可識別性の議論ばかり取り上げられる印象があるけど、実は後半部分のほうがおもろいんやで、という話。

  • Arthur C. Danto, "The Artworld," The Journal of Philosophy 61 (1964): 571-584.

扱うのは4節です。3節までで芸術作品を可能にしているのは理論なのだーという主張をくどくどしたあとに、ダントーはそのような理論が実際に作品やその経験にどのようなしかたで関係するのかについてわりと唐突に議論しはじめます。


ダントーはまず「種類Kに関連ある述語」(K-relevant predicates)という概念を導入する。これは「Kに属する諸対象に、意味あるしかたで(sensibly)適用される対立項(opposites)のペア」と定義される。つまり、「ある対象がKに属するならば、それはFか非Fかのいずれかである」ような場合のFと非Fのペアのこと*

つぎにダントーは芸術作品クラスに関連ある述語FとGを考える。ある時代には、非Fである芸術作品しかなく、芸術作品に関連ある述語としての非F性は気づかれずに見過ごされているかもしれない。またある時代には、すべての芸術作品はGであり、Gが芸術作品の定義的特性であると見なされているかもしれない。

ここで、Fはたとえば「表現主義的である」という述語であり、Gは「再現的である」という述語である。ある時代には、それらだけが芸術に関連ある述語だっただろう。その場合、以下のような様式マトリックスが得られる。

FGStyle
+ + 表現主義的かつ再現的、たとえばフォーヴィズム
+ - 表現主義的かつ非再現的、たとえば抽象表現主義
- + 非表現主義的かつ再現的、たとえばアングル
- - 非表現主義的かつ非再現的、たとえばハードエッジ

ダントーいわく、単純に考えれば、芸術に関連ある述語(つまり列)をひとつ追加するごとに、利用可能な様式(つまり行)の数は2倍に増える。たとえば、ある芸術家が、これからはHが自分の絵画にとって芸術的に関連ある述語である、と決めたとしよう。このとき、Hと非Hの両方が、すべての絵画にとって芸術的に関連あるものになる。つまり、その画家がそのような理論を立てたのと同時に、他のすべての既存の絵画についてHか非Hのいずれかが述語づけられ、絵画の全体は豊かになる。

芸術的に関連ある述語が多様になればなるほど、アートワールドの個々のメンバー〔作品〕はより複雑になり、また、ある人がアートワールドの全体数について知れば知るほど、そのメンバー〔作品〕のどれについてもその人の経験はより豊かになる。

というわけで、芸術的なブレイクスルーは、マトリックスに列の可能性を追加することに他ならない*


まとめおわり。

この後半部は、明らかに3節までの流れとかみ合ってない気がするけど、ジャンルの創発とかの話として独立で面白く読めるのではないかと思う(というか、いいかげん芸術の定義だアートワールドだみたいな話はしょうもないので、3節までは無視しましょう)。

論文「アートワールド」はラマルク&オルセン編の分析美学アンソロジーにも収録されてます。

Footnotes

  • ダントーは、自身の「opposite」という概念を「反対」(contrary)および「矛盾」(contradictory)と区別している(なぜなら、反対関係は中間項を持ちうるし、矛盾関係は特定の種類に属することを前提しないから)。ダントーは言っていないが、「presupposition」に近い概念だと思う。

  • ちなみに、ダントーによれば、芸術的に関連ある述語がm個ある場合、そのマトリックスのいちばん下につねにm個のマイナスを持つ行ができる。これは純粋主義者が占めるにふさわしい。純粋主義者は不純物(つまりプラス)を取り除くことで芸術の本質を蒸留すると自負する。しかし、まさにこの点に純粋主義者の誤りがある。純粋主義的な絵画(たとえばラインハートの抽象画)は、「不純な」絵画が存在するかぎりで芸術作品として存在しうるのである、云々。のちの「aboutness」の強調もそうだが、ダントーはわりと一貫してグリーンバーグを意識して叩いているところがある。