記号学会で聞かれたことなど

日本記号学会で研究発表しました。

発表の内容は、ビデオゲーム研究でよく出てくる二分法「ゲーム的なもの」と「物語的なもの」を、それぞれ互いに独立の二つの意味体系として(意味論レベルで)とらえたうえで、両者の特殊な関係として、ビデオゲームにおけるシミュレーション要素、謎解き要素、一貫性の問題を説明してみた、というもの。

レジュメ作る時間がなかったのが悔やまれますし、プレゼンには予想どおり失敗しましたし、他の人のは「ちゃんとしてる人文の人の発表」っていうかんじの発表だったので、非常にあれなかんじでした。

以下いくつか気になった批判・指摘・質問についてのメモ。

発表では「表現/意味」という対概念をつかったけど、「表現」という言いかたがけっこうミスリーディングであることがわかった。伝統的用語法として説明ぬきで通用するだろうと踏んでいたけど、そうでもないらしい。"expressionism"とかいう場合の「表現(表出)」も別の用語としてあるし。かと言って「シニフィアン」とか使うのはださすぎるし、「記号表現」もなんかthe記号論ってかんじでちょっといやなので、今後の用語法の問題として多少考えておく必要がある。

操作概念として、ゲームシステム的意味と物語世界的意味の「対応づけ」と「重ね合わせ」という概念を導入してみたんだけど、それについて確認的な質問を受けた。一見してあやしげな概念なので、つかうならもうちょっと洗練させてからのほうがいいかもしれないし、そもそも、いったんふたつを分けておいて、それを再度くっつける概念を導入するっていうのは問題な気がしなくもない。要再考。

一貫性について、「物語世界的意味の一貫性はわかるが、ゲームシステム的意味の一貫性とはなにか」という質問を受けた。これはあまり考えてなかったところで、「『ゲームバランス』みたいな用語によって指されるところのなにものか」といったような漠然とした答えしかできなかった。ゲームシステム的意味についても、あるていどは統一性というか〈諸々の意味をひとつの秩序ある全体に仕上げるなにものか〉があると言えるとは思うが、それはいわゆる話の筋のcoherenceみたいなのとはまったく別の種類のものだろうし、少なくとも「一貫性」って言葉は慎重につかったほうがいいんだろう。

ゲームシステム的意味はプロップ的な物語構造に近いのではないかという感想をいただいた。こういうとらえかたをされたのは、おそらく、ゲームシステム的意味と物語世界的意味が、イェルムスレウの言う内容形式と内容実質にそれぞれ相当していると見られたからだろうと思う。自分モデルだと、プロップ的なものも物語世界的意味のほうに入るのだが(つまり、物語世界的意味にもゲームシステム的意味にも、それぞれ内容形式と内容実質がある)、ともすればゲームシステム的意味が内容形式とか物語構造と同一視されがちであるという点は注意しなきゃいけないと思う。