画像的再現のサーベイ論文 (2)

画像的再現のサーベイ論文(Kulvicki 2006b)の紹介のつづきです。

〔〕内と注は補足。


Haugelandの内容説

内容説(content accounts)は、画像が持つ内容の諸特徴を取りあげ、その諸特徴が画像の知覚に対してどのような帰結をもたらすかを問題にする。

内容説は人気がない。画像の内容をそれ単独で論じているのは、以下のHaugelandのみ。

  • J. Haugeland, "Representational Genera." (1991)

画像的再現の説明というよりも、より広いクラスである「図像的」(iconic)再現の説明を試みる。図像的再現は、言語的ないし「論理的」再現と対置される。

Haugelandは、(1) 再現の骨だけ内容(bare bones contents)と肉づき内容(fleshed out contents)を区別したうえで、(2) 図像的再現の骨だけ内容は、論理的再現の骨だけ内容とは根本的に区別されると主張する。

骨だけ内容と肉づき内容

画像の肉づき内容は、われわれがふつうその画像が描いていると考える内容のこと。たとえば、トマト、虹、大司教、ブルドーザー。

骨だけ内容は、肉づき内容から抽象されたもの。ある画像の骨だけ内容は、当の画像の可能な対象すべてが共有している諸性質の抽象的集合である。

どんな所与の画像も、限りなく多くの情景から帰結することが可能である、ということはよく知られている。たとえば、ゴッホは、アルル滞在中に、自身の寝室の絵を一枚描き、一年以上のちのサン=レミ滞在中に、その寝室の絵をもう二枚描いたわけだが、この第二と第三の寝室のポートレイトの対象は、最初に描いた寝室の絵であって、寝室それ自体ではない〔つまり、同じような絵でも、まったく異なる肉づき内容を持ちうる〕。

〔骨だけ内容と肉づき内容についての補足は画像的再現のサーベイ論文の補足

図像的再現の骨だけ内容と論理的再現の骨だけ内容

論理的再現は、その骨だけ内容を構成する要素のそれぞれが、相互に依存せずに、ひとつひとつ個別に同定されるもの。

対して、図像的再現では、その骨だけ内容を構成する要素のすべてが相互に関係している。

Lopesの内容説

Lopesは、画像は、記述やグラフや図表とちがって、明示的なノンコミットメント(explicit noncommitments)をなすものであるとする。

  • D. Lopes, Understanding Pictures. (1996)

ある再現が、その対象を、なんらかの性質Pを持つものとして再現するか、あるいは、Pを持たないものとして再現する場合、その再現はその対象がPを持つかどうかについてコミットしている。

ある再現が、その対象がPであるかどうかを述べていない場合、その再現は、Pについて暗示的に(implicitly)ノンコミットしている。たとえば、白黒写真や対象の色に言及しない記述などは、色について暗示的にノンコミットしている。

対して、たとえば、大きな箱を運んでいてその胴部分がまったく見えない人を描く画像は、その人のシャツの色について明示的にノンコミットしている。このような明示的ノンコミットメントに対応するものは、記述にはない。

Goodmanの構造説

構造説(structural accounts)は、あるシステム内の諸々の再現が、統語論的・意味論的に互いにどのように関係しあっているのかに焦点をあわせる。

構造説は、内容説のように画像的再現の内容が他の種類の再現の内容と異なるとはいわない。むしろ、画像的再現の諸々の可能的内容が相互に関係するしかたが他の再現のそれとは異なるという。

構造説と内容説のもっとも明らかなちがいは、構造説が、諸々の画像的再現が非意味論的に〔内容と関係なしに〕個別化されるしかたをも考えるという点にある。

構造説の代表者はグッドマン。

  • N. Goodman, Languages of Art [LA]. (1976)

グッドマンによれば、画像は、相対的に充満したアナログのシステムである。ここで、〈あるシステムがアナログである〉とは、〈そのシステムが統語論的に稠密かつ意味論的に稠密である〉ということ。

統語論的稠密(syntactic density)

あるシステムにおいて統語論的に互いに区別された諸々の再現*のすべてが互いに関係するしかたの問題。

あるシステムの任意の2つの再現のあいだに、その2つ同士の区別よりもより両者それぞれとの区別がつきにくい3つめの再現がつねにあるような場合、そのシステムは統語論的に稠密である。たとえば、水銀温度計における水銀の高さ。

意味論的稠密(semantic density)

あるシステムにおける諸々の再現の指示対象*が互いに関係するしかたの問題。

たとえば、水銀温度計は温度を表すわけだが、そこで諸々の水銀の高さによって指示されうる諸々の温度について、任意の2つの温度のあいだに両者の中間の温度がつねにありうる。

相対的充満(relative repleteness)

このように、水銀温度計は、統語論的に稠密かつ意味論的に稠密な(つまりアナログな)システムであるが、画像ではない。水銀温度計と画像を区別するのは相対的充満である。

相対的充満は、ある再現の統語論的同一性に関与的(relevant)な諸性質*の数という統語論レベルの条件。

水銀温度計においては、その再現の統語論的同一性にとって関与的なもののすべては水銀の高さであるのに対し、ある画像の統語論的同一性にとっては、色やかたちや向きといった諸性質が関与的になる。したがって、水銀温度計よりも画像のほうが相対的に充満している*

グッドマンは、ある再現システムが画像的であるためのこれらの必要条件〔統語論的稠密、意味論的稠密、相対的充満〕が、あわせて十分な条件であると主張したわけでは決してない。

LAにおけるグッドマンの主な関心は、楽譜や舞踊譜といった「記譜システム」(notational systems)と画像的再現システムを区別する点を明らかにすることにあった*。グッドマンは、諸々の種類の再現のうちでもっとも記譜的でないシステムという位置を占めるものとして画像を考えていただけなので、LAにおける画像についての議論は十分なものになっていない。

さらに、デジタル画像〔ドット絵〕を考えれば、これらの条件が画像であるための必要条件であることすら疑わしいかもしれない(Elgin & Goodmanでこの問題について応答してはいるが)*


つづく。

Footnotes

  • ここでのKulvickiの「representation」という語の運用はかなり問題があるように思われる。グッドマン自身の用語法における「representation」は、LAでは画像的再現を指し、Elgin & Goodmanではより一般化されて「reference」ないし「symbolization」と同義とされるわけだが(see Elgin & Goodman, ch.8)、ここでKulvickiが「representations」という語で指しているものに対応するグッドマン用語は「characters」だろう。

    ついでにいうと、「representation」はふつう再現するものと再現されるものの関係(あるいはその関係を生じさせる機能)に適用される語だと思うが、Kulvickiは再現するもの(統語論レベルの要素)にこの語を適用しているように見えるときがあって、気になっている。たとえば、「syntactic types」の実例を「token representations」と呼んだりするし(Kulvicki 2003, 324ff)、「representationが云々をrepresentする」という言いかたもしばしばする。

  • ここで「指示対象」としたのはKulvickiの原文では「denotations」だが、これもかなり問題がある用語運用である。グッドマンの用語法においては、denotation(「外延指示」と訳されたりする)は、指示対象への指示(正確にはラベルからそのラベルが適用される対象への指示)のことであり、指示対象のことではない(see LA, ch.1; Giovannelli 2010, 3.1; 清塚 2004, 38. ちなみにこの清塚論文の冒頭部分はグッドマンの用語法めんどくせえ感がにじみでてて非常に共感できる)。

  • この「properties」もまたKulvicki自身の用語法である。グッドマンは当然「properties」という言葉はつかっていない。グッドマンは、統語論的要素(character)の同一性にとって関与的な諸特徴を「character-constitutive aspects」と呼ぶ(LA, 229f)。Kulvickiもこの点は承知している(Kulvicki 2006a, 16)。

  • ここでは水銀温度計が例に出されているが、より一般的には、相対的充満は図表(diagrams)と画像のちがいを説明するものである。心電図の線と北斎の富士のドローイングの線という有名な例もこの話。

  • 実際には、グッドマンは、記譜と画像との区別だけではなく、日常言語的な記述など諸々の再現システムの区別をこの枠組みでしている。かんたんにまとめとくと、

    • 記譜:統語論的にも意味論的にも稠密でない
    • 記述:統語論的には稠密でないが意味論的には稠密である
    • 図表:統語論的にも意味論的にも稠密であり、相対的に充満していない
    • 画像:統語論的にも意味論的にも稠密であり、相対的に充満している

    また、統語論的稠密、意味論的稠密、相対的充満は、例示(exemplification)とともに、「美的なものの諸徴候」のうちにも数え入れられる(LA, ch.6, sec.5)。

  • このドット絵問題についての応答(Elgin & Goodman, ch.8)は論点がずらされているような気がしてあまり釈然としない。もうちょっとすっきりこの問題を処理してるものとして、Katz(2008)がある(再現におけるデジタル/アナログの区別は、「媒体」の問題ではなく「フォーマット」の問題である、って言ってるだけの論文)。

References

  • Elgin, C. Z. and N. Goodman (1988). Reconceptions in Philosophy and Other Arts and Sciences. London: Routledge. (邦訳: 『記号主義』菅野盾樹訳, みすず書房, 2001)
  • Giovannelli, A. (2010). "Goodman's Aesthetics." In Stanford Encyclopedia of Philosophy. http://plato.stanford.edu/entries/goodman-aesthetics/
  • Goodman, N. (1976). Languages of Art. 2nd Edition. Indianapolis: Hackett.
  • Katz, M. (2008). "Analog and Digital Representation." Minds and Machines 18(3).
  • 清塚邦彦 (2004). 「ネルソン・グッドマンの記号論 (2): Pictorial Representationの分析を中心に」 『山形大学人文学部研究年報』1: 37-64.
  • Kulvicki, J. (2003). "Image Structure." Journal of Aesthetics and Art Criticism 61(4): 323-340.
  • Kulvicki, J. (2006a). On Images: Their Structure and Content. Oxford: Oxford University Press.
  • Kulvicki, J. (2006b). "Pictorial Representation." Philosophy Compass 1(6): 535-546.