画像的再現のサーベイ論文 (3)

ひきつづき、画像的再現のサーベイ論文(Kulvicki 2006b)の紹介です。

今回は、基本的にKulvicki自身の構造説(Kulvicki 2003; 2006a)の内容。このサーベイ論文では書いてないが、Kulvickiが提示する画像的再現の個別に必要かつあわせて十分な条件は、以下の4つ:

  • (1) 相対的充満(relative repleteness)
  • (2) 統語論的敏感(syntactic sensitivity)
  • (3) 意味論的豊富(semantic richness)
  • (4) 透明性(transparency)

(1)(2)(3)はグッドマンの相対的充満、統語論的稠密、意味論的稠密をそれぞれ修正したものなので、グッドマンとKulvickiの決定的なちがいは、(4)の透明性ということになる。

以下、論文の内容。〔〕内と注と小見出しは補足。


Kulvickiの構造説

透明性

グッドマンの議論は、構造説のポテンシャルを汲みつくしているわけではない。統語論-意味論的条件のひとつである透明性(グッドマンがほとんど論じなかったもの)は、画像についての理解を深めてくれるだろう。

ある写真P1を、かつP1だけを、真正面から写した写真P2があるとする。結果として、P2はP1にそっくり(just like)なものになる。P2とP1は、あらゆる点においてそっくりであるわけではないが、その表面の形と色という点において、そっくりである。

P2はある写真(つまりP1)の画像であり、P1はたとえば犬などの画像なので、肉づき内容については両者は異なるが、骨だけ内容についてはよく似ている。というのも、P1とP2それぞれによって再現された光と影と色のパターンは同じだからだ*。言い換えれば、P1とP2は、その骨だけ内容に関与的な諸特徴にかんしては、よく似ている。

このことが示唆するのは、ある画像的再現システムにおけるある再現(P1)を、その同じシステムにおいて再現したもの(P2)は、その対象(P1)と統語論的に同一であり、したがって意味論的にも同一である、ということである。

〔透明性の定義についての詳細は画像的再現のサーベイ論文の補足

なお、ここでの「透明性」はひとつのテクニカルな用語法にすぎない。透明性についての他の理解もある。たとえば、Walton("Transparent Pictures," 1984)によれば、写真はその主題を文字通り見ることを可能にするから透明であるとされる。一方、上で述べたことは、画像をどのように知覚できるかという話ではなく、たんに画像同士が互いにどのように再現しあっているかという話である。

透明性の観点からの画像と他の再現の対比

記述については透明性が成り立たない。ある記述D1を表す記述D2(メタ記述)は、いかなる意味でも、統語論的にも意味論的にもD1に似ていない。図表も同様に透明性が成り立たない。

一方で、透明性は、一般に考えられている画像(視覚的画像)と他の再現とのあいだに、いままで気づかれていなかった共通点があることもまた明らかにする。たとえば、録音物の再生は、透明性の条件を満たすように思われる(ある特定の演奏の録音の録音の再生は、もともとの録音の再生とそっくり)。LopesやHopkinsは、触覚的画像についてのJohn M. Kennedyの著作(Drawing and the Blind)を紹介している。それによれば、多くの視覚障害者は、インクの代わりに凸線を使うことで、画像と思われるようなものを作ったり解釈したりできる。

聴覚的画像、触覚的画像、視覚的画像を結びつけているのは、それらがすべて見られるものであるという事実(知覚的な事実)ではなく、それらが透明な再現図式に属しているという事実(構造的な事実)である。

画像の自己例化

画像の画像が、その対象と統語論的かつ意味論的に同様であるとすれば、画像はそれ自身の骨だけ内容を満たす(例化する)ということになる。このことは、画像は模倣的(mimetic)な再現であるといわれる場合に意味されていることを、少なくとも部分的にとらえている。

画像は、その対象が持っている諸性質をそれ自身で持っており、部分的にはまさにそのおかげで、画像はその対象を再現する。もちろん馬の画像の肉づき内容は、馬とまったくちがうが、馬の画像の骨だけ内容は、特定の抽象的な空間的・色彩的諸特徴を馬と共有している*

画像とイメージ

ある再現システムがなんらかの性質の点で透明ならば、その再現はその性質の点で模倣的であるが、その逆は成り立たない。模倣的でありつつ透明でない再現システムが数多くある〔つまり、透明であることは模倣的であることを含意するが、逆は成り立たない〕。

たとえば、fMRIのイメージは脳の活動部位のかたちを模倣的に再現するが、それは透明な再現ではない。fMRIは、色をつかって活動レベルを表すのであり、色で色を表すわけではない。なので、あるfMRIイメージ(I1)のfMRIイメージ(I2)を考えた場合、I1にはいかなる関与的な活動も見られない(色の変化しかない)わけだから、I2が統語論的ないし意味論的にI1と同様になることは考えられない。

ここで「イメージ」と呼んでいるクラス*には画像も含まれるだろうが、そこにはまた、fMRIや気象レーダーといった非画像(つまり透明でないもの)も含まれている。

同型的再現

同型的再現は、それとそれが再現するものとが同型である(isomorphic)ような再現である。

模倣的再現(イメージ)は、意味論的に重要なしかたでその対象と性質を共有しており、再現〔統語論レベル〕の諸特徴間の関係と、再現されるもの〔意味論レベル〕の諸特徴間の関係が同じになるので、同型的再現の一種である。

しかし、同型性の要件は、再現の諸要素と再現されるものの諸要素のあいだの一対一写像だけなので、模倣的でなくても、同型的な再現であることはありうる。多くのグラフや図表は同型的であるが模倣的ではない。たとえば、水銀温度計は、その水銀の高さに一対一に対応するしかたで温度を表すが、模倣的にそうするわけではない。

このように諸々の再現システムの構造を互いに関係づけながら説明することで、われわれがそういう再現をなぜ、どのように、つかうのかについての理解が進む。


まとめおわり。 画像的再現の話は面白いし便利なので、美術史とかやってる人とかがちゃんとやるといいと思う。

Footnotes

  • ここでの「光と影と色のパターン」は、再現されたもの、つまり意味論レベルであることに注意。画像表面の「形と色」(統語論レベル)ではない。

  • この部分だけたんなる類似説のバリアントっぽく見えるのが気になる。Kulvickiにおいて、透明性は〈画像の画像〉と〈画像〉の関係として定義されるが、これが〈画像〉と〈事物〉の関係にシフトするととたんに類似説くさくなるのだと思う(mimesisの特徴づけをしてるところだから、しょうがないのかもしれないが)。グッドマンが自身の「例示」概念を画像の特徴づけをするのに利用しなかったことと考えあわせるとちょっと面白い。ちなみにKulvickiは「mimetic」についてもめんどくさい定義をちゃんとしている(Kulvicki 2006a, 83ff)。

  • 文脈上「image」は「画像」と訳せないのでそのまま。なお、Kulvickiによれば、イメージ(あるいは「imagistic representation」)の定義は、(1) 相対的充満、(2) 統語論的敏感、(3) 意味論的豊富、(4) mimeticであること、である(Kulvicki 2006a, 81)。つまり、イメージと画像のちがいは、模倣性と透明性のちがい。で、本文にあるように、透明性は模倣性を含意するが、逆は成り立たない。

References

  • Kulvicki, J. (2003). "Image Structure." Journal of Aesthetics and Art Criticism 61(4): 323-340.
  • Kulvicki, J. (2006a). On Images: Their Structure and Content. Oxford: Oxford University Press.
  • Kulvicki, J. (2006b). "Pictorial Representation." Philosophy Compass 1(6): 535-546.